プラナカン博物館の概要 シンガポール”以前”の歴史に触れられる博物館

2015年に建国50周を迎えた若い国であるシンガポールですが、「シンガポール」となる以前の歴史ももちろん長く、そんなシンガポール建国以前の歴史の一つが今回のプラナカン博物館に展示されているプラナカン文化でしょうか。

厳密に言うとプラナカンはシンガポールだけの文化ではなく、マレー半島全域で栄えたものですが、後述する通りプラナカンで一番栄えたのが中華系プラナカンで、シンガポールがマレーシア(マレー連邦)から独立(追放)された理由でもある位、シンガポールは今でも中国人比率が最も高く、中華系プラナカンが栄えたのもシンガポールという港町の地理的影響もあったので、特にシンガポールではプラナカン文化が色濃く残っています。言い換えるとシンガポールは中華系プラナカンが多く居たためにマレーシア(マレー連邦)から追放される事になったため、プラナカンの事を知ることはシンガポール建国の背景を知ることにもつながります。

プラナカン博物館は規模も大きくはなく、観光地としては有名ではないかもしれませんが、シンガポールの表面だけではなく内面を知るのもとても興味深いので、是非訪れてみてください。

プラナカンとは?

是非プラナカン博物館を訪れて詳しく知って頂きたいですが、プラナカン(Peranakan)は、マレー語(インドネシア語)で「子供」を意味するanakという言葉から派生した言葉で、貿易のために中国やインドなどからの商人が定住し、現地の人との通婚(異民族同士の結婚)で現地で生まれた子供たちの子孫のことを指します。(ただし実際には同じ民族同士の結婚が多かったようです)
プラナカン料理をNyonya料理と言うことが多いですが、これはNyonyaが女性、Babaが男性を表し、当時は料理は女性の仕事だったためです。

また、プラナカンはマレー半島に定住した中華系の人たちを指すように言われることも多いですが、実際には中華系プラナカン(Hokkien Peranakan)以外にもインド系プラナカン(Chitty Peranakan)、ジャワ系プラナカン(Javanese Peranakan)など、当時の貿易で行き来していたほかの国の商人たちの子孫もプラナカンと呼ばれます。

ただし、一般的にプラナカン文化と言われるビーズ細工や、ニョニャ料理は中華系プラナカンの文化なので広義ではプラナカン文化はマレーに定着した中華系の人たちの文化と言ってしまってもいいと思います。

特にプラナカン文化で特徴的なのが、元々のマレー文化と中国などから来た商人たちの自国の文化に加えて、植民地だったこともありヨーロッパの文化も混じり合い、また海上交易で財を成した比較的裕福な商人が多く、独特で華やかな文化が生まれたことだと思います。

プラナカン博物館について

シティホール駅から歩いて10分ほどのところにあり、1912年に建てられた道南学堂という学校の建物を使っており、1997年にアジア文明博物館の一部としてオープン、1998年にはナショナル・モニュメントに指定され、2008年にプラナカン博物館としてリニューアルオープンしました。

※入り口のこの猫のオブジェは1999年までアジア文明博物館の一部だったこの建物に飼われていた看板猫だそうです。

また、道南学堂はSingapore Hokkien Associationと呼ばれる福建省から来た華人組織が作った福建語の中国人学校で、この建物自体もプラナカンの子供たちが学んだプラナカン文化の一つといえると思います。
一見すると旧道南学校の建物は洋風で、建物は柱と建物が対称になった古代建築様式、正面は古典コロニアル様式と、とても中国人学校とは思えないですが、プラナカン文化が西洋文化と中華文化の融合であったことを表す象徴的な建物でもあると思います。

施設種類 プラナカン博物館
料金 大人S$6
レーティング ★★★
場所 39 Armenian Street, Singapore 179941
※シティホール駅から歩いて10分ほど。
電話番号 +65 6332 7591
営業時間 10:00~19:00
※金曜日は21時まで開館
公式サイト

ガイドツアー

ボランティアによる無料のガイドツアーが下記の通り英語と日本語で行われています。
詳しくはこちらも参照ください。
※英語のガイドツアーに参加してきましたので、概要など別途記事にさせていただきます。

英語
月曜~金曜日:11:00, 14:00
土曜日:11:00, 15:00
日曜日:11:00, 14:00,15:00

日本語
火曜~金曜日:10:30

日本語ガイドはこちらにも情報があります。